0
多久聖廟創建三百年祭
春季釋菜

(しゅんきせきさい)
平成20年4月18日(金)

われ十有五にして学に志し、三十にして立ち、
四十にして惑わず、五十にして天命を知り、六十にして耳順い、
七十にして心の欲するところにしたがいて矩を越えず
                                 (孔子)


 論語にはとんと縁の無い私でも、何処かで聞いた覚えのある一節であるが、
ここ多久聖廟はこの論語を説いた孔子をお祀りした聖地である。
今から300年前の宝永五年(1708年)に多久四代領主「多久茂文」が学問所「東原庠舎」
と共に創建、領民の教育と人の道を諭す事に努めたという。

以来毎年欠かさず春と秋に釋菜の儀式が行われてきた。
(釋菜とは甘酒、銀杏、栗、芹、筍、雉肉、飯、餅等を供え孔子に感謝する儀式である。)

多久聖廟は日本では三番目に古く、その建物の壮麗さでは随一だそうである。




「李参平顕彰庵」

多久聖廟の一角に「李参平顕彰庵」なる建物がある。
有田焼の陶祖といわれる李参平は朝鮮から日本に
渡ってきた当初この多久の地で製陶を始めたが、
なかなか思うようなものが出来ず、
土を探し求めて各地を巡るうち、
やっと有田で磁器に適した岩山を発見し
彼の地に移り住んだという。



「東原庠舎」(とうげんしょうしゃ)

多久の藩校として元禄12年(1699年)創建
藩校は通常武士のための学問所であったが
この東原庠舎は武士のみならず百姓・町人にも
門戸を開き、それがため、多久の雀は論語を話すと
言われるほどの盛況だったと云う。

午前中は論語などを学び、午後は武道を鍛錬した。


「恭安殿」
宝永5年(1708年)創建
大正10年(1921年)国の史跡指定
昭和8年(1933年)国宝指定
昭和25年(1950年)国の重要文化財指定

   

恭安殿廟内の奥陣にある聖龕(せいがん)
孔子像を納めてある厨子(普段は見ることが出来ない。)



祭官・楽士の入堂


献官(多久市長)の入堂
青い祭服を着たのが献官で、代々多久市長が務める。


献饌の儀(けんせんのぎ)


献饌とは供物を捧げることである。


献官退堂


祭官退堂


釋菜の舞入場


地元の中学生による釋菜の舞


















釋菜の舞終了


退場


楊琴の演奏


境内には志望校への合格祈願絵馬が奉納されてる。
県外からのものも多い。


敷地内にはたくさんの八重桜が咲き誇っていた



Copyright © 彦十.All rights reserved.

inserted by FC2 system