鵜殿石仏群 (うどのせきぶつぐん)




 大同元年(806年)に空海上人が彫られたと云われている。

佐賀県史跡指定

断崖や洞窟に十一面観世音、持国天、不動明王、多聞天大日如来を始めとする無数の仏像が彫られている。
長い年月の風雨に晒されお顔が判別出来なくなっている仏様もあるほどで大変に古いものだと推察される。


詳しくはこちら「唐津観光協会」HP


場所:唐津市相知町天徳

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鵜殿石仏群(佐賀県史跡指定)

文禄三年に書かれた鵜殿山平等寺略縁起によれば、弘法大師空海が唐(中国)にて密教を学び
大同元年(八〇六年)に帰朝、松浦の地に着岸され当地に立ち寄られた。
空海はこの地が漢土霊域にも劣らない法地であると、先ず中央の峭壁に観音・弥陀・釈迦の
三尊を彫刻されると、異様の人が忽然と現れ、巌壁ごとに一切の諸菩薩、或いは諸天の形像を加刻して消え去った。
その後、入唐八家の一人 小栗栖常暁が、淳和天皇の天長年間(八三〇年代)に洞窟内に鵜殿山平等寺を建立された。
仁明天皇承和二年(八三五年)には常暁の門弟が空海作の薬師如来並びに日光・月光両菩薩像を安置した。
以後、真言秘密の法窟として庶民の信仰はもとより、殊に上松浦党主岸嶽城主累代の尊崇は厚かったという。
しかし、天文年間(一五四〇年代)の龍造寺氏との戦いで灰燼と帰したので、
元亀年中(一五七〇年代)に地頭の久我因幡守が之を再建し明王院と号した。
(明治初期まであり、本尊薬師等は妙音寺に移す。)

今日では、かっての大洞窟も天井崩壊し、露天となり、昔日の面影としては、密教色強い石仏群のみである。
建立年代については、学者の間でもまちまちで定説はない。
しかし、相当長い年月の間に、人々の信仰に沿って加仏されていることから、
古くは平安から室町時代にかけてのものであろうと云われている。

相知町教育委員会

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